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人生で初めてのパンデミック 

 

 私は2001年生まれである。パンデミックを体験したのは今回の新型コロナウイルス

が初めてだ。

人生で初めてのパンデミック下で私が経験した忘れたくない事実に、人としての教訓

がある。それは、どんなに情報が溢れかえったとしてもそれらを自分の力で処理、

整理し、何が信頼できる情報なのか見極める力を備えた人になりたい、というものだ。  
 日本は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、緊急事態宣言を発令し不要不急の外出の自粛を要請

した。連日、テレビやラジオのニュースではコロナネタが尽きなかった。その中でさまざまな情報が

流れ回り、人々は何が信頼ある情報かを判断しきれないでいるような気がした。例として、自粛警察の存在がある。自粛警察とは行政による自粛要請が守られているかどうか目を光らせ、外出する人や営業中の店舗を過度に批判したり、不利益や不公平感を排除しようと威圧的な態度を取ったりする一般市民や、その行為・風潮を指すインターネットスラングである。なぜそのような人々が現れるようになったのか。NHKニュースで集団と個人の心理に詳しい同志社大学の太田肇教授は次のように分析した。「経験したことがない非常事態の中で、閉ざされた家の中にずっといると1つの考え方が暴走してしまい、やっている側は正義感に駆られ、やりすぎているという意識を持ちにくい。そして気付かないうちに人権を損害している」と。 

 また、母のお店を例にあげると、スタッフの仕事に対する気持ちの違いがある。新型コロナウイルス感染拡大以前、従業員は店を閉めることに批判的であった。なぜなら、彼女たちにも家庭があり、生活費がかかっているからだ。母は、自粛生活明けの営業再開を想定しいきなりの仕事開始は従業員にとって厳しいものになるだろうと、休業中に当番制で何日か店の掃除や改装のため出勤を依頼した。それが少しでも彼女たちの生活費の足しになってほしいという思いもあったそうだ。しかし休業に対して批判的であった彼女たちの反応は、「自粛期間なのに出勤するんですか?」「自粛期間だから人と会うことは避けたいです。」と一変していた。ちょうど新型コロナウイルス感染者数がピークの時期であった。もちろんメディアでは新型コロナウイルスに関する情報が溢れかえっていた。彼女たちはその情報すべてを鵜呑みにし、人と会うイコールウイルス感染というような認知になってしまったのではないか。母の店だけでなく、身近な私の友達にもそういう考えの人は実際にいた。  
 私は彼女たちの主張することが間違っているとは思わない。実際に新型コロナウイルス感染して家族や身内に感染させて、自分だけ助かった人がたくさんいる。その事実を知ると、自分の身だけでなく家族の身まで守る努力をすることは当たり前である。しかし、誤った情報処理の結果、他者を傷つけるのは違うと考える。だからこそ、与えられた情報を自分の力で整理して何が信頼できる情報かを見極める力のある人になりたい。  

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